2.15.2015

BE R


信じるものがあるってのは非常に強い。
宗教じゃなくてもいい。
自分が独自に築いた考え方でもポリシーでも
何でもいいからひとつ信じるものがあるといい。
何でもいいから信じられるものが
ひとつあると心に軸が通るみたいに強くなる。

逆に言えば信じるものがない人はとても弱い。
人と比べたり人を批判していないと自分が成立しないもろい存在。

わたしの場合は精神世界がその信じるものってところに
あてたいつもりなんだけど、主観、客観、そして達観。
そうなると考え方の軸も3方向の三角錐型になって強度が増す。
自分の場合は教祖がいるわけでもなく、目指す人がいるわけでもなく
実際経験して感じてきたことを信じているから、まだまだ脆いんだが。

最近東京や地方で色んな人に会って話をして悩みや不満を聞く機会があるけれど、
ほとんどの人が主観だけでものを言ってることに気づいた。
そこに友達と相談するか、ふと考え事をして得られる視点が客観。

客観も得られるひととそうじゃない人ってのがいて、
どんな意見を言っても聞き入れる耳があるひとってのは、人として柔軟で強いと思う。
精神純度が高い、崇高な大人はいくら年上でもいろんな意見を聞こうとする耳があるな。
"しなやか"っていうんだろうかね。

「問題はそれ自体が問題なんじゃなくて捉える人の考え方が問題だ」だって誰かの言葉があるが、 ともかくほとんどの場合、思考は主観のみで成り立ってて、
ものを掘り下げて考えたりする人はそこに客観が加わって、
なにか信じるものがあるひととかは達観も加わる。
どれかが欠けてもだめで、すべての視点をバランスよく持っているのが強いんだと思った。

さーて日曜の楽しみ、ヨルタモリ観よう....
はて、わたしの信じるものってもしかしてタモリかな...?

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