2.13.2019

sence of art


オーストラリアに一瞬住んでいた時に悟ったことがある。
「センスの良い人は信頼できる」と。

全てはセンスだ。
選ぶ言葉や会話、コミュニケーションもセンス、服もセンス、食べるものもおもてなしも、その人が良いと感じて選びとるもの全てがセンス。
私が国も話す言葉も違う様々な人たちに会う中で、一つの物差しになることがこの「総合的にセンスが良い人」ってのは何においてもセンスが良い=信用に値するってことだった。
要するになぜ信用できるかというと基本的に「良いものを良いと感じる感性と素養がある」という部分だ。

いろんなシチュエーションにおいて不快感を覚える人はなんてたって「センスがない」の一言に尽きる。
感性がないってのは美術的なものなのかどうなのかわからないんだけど、とにかく感覚も感性も鈍感なのだ。相手がどう感じるかという共感覚も弱い。

だからこれは波長の法則とも通じるけど、感覚が良い人とだけ付き合いたいと思っている。ジャッジする意味ではないけど、なるべく快適に過ごしたいし、そういう人たちとのコミュニケーションはとてもスムーズで快適だからだ。
お互いを不快にしないのでなんなら言葉もいらないのにいろんなことがスムーズにいくみたいなことだ。ある意味プレッシャーのようだけど、生まれた国も話す言葉もバックグラウンドが違う人であっても、センスが良い人に共通して言えるのは、こういう見えない言葉が通じるのである!

こういう人たちだけを選んで付き合うのは困難だけど、こういった人ってのはが世界中にいて、同じような波長でお互いが快適だからすぐに仲良くなれる、と感じる。それ以外の人と付き合うのに比べてはるかに心地よく話が早い!そういう人のひとりに私はなりたいし、そういう人に囲まれていきたい。まだまだ世界は混沌としているので。

Art credit:Sense of Place — Rodrigo Valenzuela