11.13.2014

Between with dream and reality

韓国生活中Blogの更新を怠っていたけど、読み返してみたらけっこう退屈そうにしてたな。っていう。だけど、ラスト4ヶ月は大変充実していてね。なんか忙しなくてブログに書けなかった。とても充実していたんだよね。だから人間って本当運気に波があるなって、思います。どうにもこうにも抗えない。すべてをそのまま受け入れるしかありませんのよ。

というわけで、いろいろと一段落してバリ島でヒマこいてる訳なんだけど。
一泊4000円ちょいの決して高くない宿だけどこんな感じで快適メン。
 ビーチ前、フレッシュジュースの朝ご飯がとっても癒し系でしてね。いまも部屋にいるけど波の音がザッパンザッパン聞こえているわけ。あー清々しい。
 いっちょまえにRooftop poolとかもあったりなんだりして。
夕暮れはビックリするくらい綺麗だし。あぁ、写真じゃ全然伝わんねえよ。

....ってわたし本当に夢見る夢子ちゃんよね。こんな放浪生活よく続けていられるな?って思うけど、今回のバリステイも半分タダでいまのフリー時間もお金ほとんど使わないからどうにかやりくりできて。夢見ライフにはお金の問題がつきものなんだけど、それさえクリアすればやりたい放題だと思っている。
さて、わたしは今後この生活をどのようにして維持、継続させていこうか。これが課題です。

韓国に引っ越してからは、わたしは日本語に加えて英語と韓国語がなんとなく出来るという、20歳くらいの時に30歳くらいにはこうなっていたいと憧れてた、トライリンガルにいつの間にかなりつつあるあるわけなんだけど。
本当これ持論のひとつ、"周りにいる人は写し鏡の法則"で、そうしていると何カ国語も出来るみたいな人にたくさん出会うわけ。で、そういう人たちいろいろ見てるとそれを活かすも殺すもその人次第。では、語学力って何かしら? って考えると普通にいちツールでしかないんですね。本当に大切なのは、その人自身。言葉を通していろんな人やモノに出会って、それを理解して、違いを理解して、自分に活かして自分を膨らましていくこと。
出来る言葉が増えると単純に情報収集力も増えるし、特に英語がわかるとなかなかどこへ行くのにもコミュニケーションがスムーズで非常に便利だな。さて、じゃあ私という人間はその機能を加えたところでそれをどういう方向に活かすのか? 私はこれから好きなところ何箇所かに拠点を置き、そこを転々としながら生活していきたいと思っている。ちょっと非現実的なようで私はそれが実現可能だといまは思っている。
なぜそう思えるかというのも不思議なもんで、こうして生活していると何カ国語もできて、いろんなところでうまく暮らしている人っていうのに出会うんだわ。だから可能なことを知っている。何かを感じたら動き出してみると、動いた先で出会う人たちがどんどんヒントを示してくれるわけ。これは本当に興味深い。

英語できる、韓国語できるからすごい、みたいな考えって、日本や韓国の単一民族で比較的ドメスティックな人たちにはすごく根付いてる発想だけれど、言葉が沢山出来る人なんか世界中に沢山いるし、そっからどうするかはその人次第なんだということを本当に身にしみて感じさせられる。

バリ島に着いて最初に乗った紳士的なタクシーの運転手さんは、英語がなかなか流暢だけど、これまで外国には行った事がないんだって。インドネシアは賃金が低いからって。
そうか。彼には外国語は仕事をスムーズにするためのツールでしかない。外国に行くとそんな人ごまんといる。

だけど、日本人の場合どうだろう。話せる言葉が増えると出来ることが沢山あるな。私たちは日本人に生まれて非常にラッキーであるということを忘れてはならない。日本に帰って新鮮な目で日本を感じると、確かに日本は国内需要だけでビジネスがいまのところ成り立つし、みんながそこそこお金を持っているので豊かさレベルが本当に高いと思う。だけどどうしてあんなみんな擦り減らして疲れきった顔をしているんだろ? GDPは高いけど心の幸福度は低め。じゃあお金のない国の人々はお金がないんだがなんだかとても楽しそうで豊かに見えるのはなんでだろう? 色々旅行をしていると思うけど、ここにすごく矛盾があるよね。
現代的な生活は便利で豊かなぶん、心をストレスで満たす。原始的な生活はシンプルでお金はないけれども余裕があって幸せかもしれない。はて、どちらが本当に良いんだろうか? 

生きるってことは幸せになるってことだと思う。単純に。
その人にとっての幸せが何かって千差万別だと思うんだ。だけど世の中の、てかその人が暮らすそこの国の、エリアの常識とかその人の想像力の範囲内で人は勝手に自分の幸せはこれだって思い込んでしまっている。まずこれが間違っているんじゃないか、ということなんだが、それ自体ほとんど誰も自問自答なんかしないだろう。

だけど、いまはそれを自問自答しないといけない時代になっていると思う。いろんな国に行ってみて、面白いと思えるのは時代のスパイラルを感じること。例えばいま2014年11月14日なんだけど、この同じ時間にいても場所を変えると時代が変わる。タイムスリップしてるみたいに感じる。インドネシアの庶民の暮らしぶりは本当に何十年も前の感じ。人々のケータイやTVは今日現在、日本の10年ちょいくらい前のだし、だけどインターネットは普通に普及してて、欧米人観光客の来るところはすっごく現代的。韓国はファッションとか街の人の感性は正直12-3年前の感じ。だけどインターネットは世界一早い。東京はすごく未来的で世界中のものが何でも手に入る。人々はコミュニケーションが出来なくなりつつある。まるで人工知能が発達した未来を描いた映画『Her』の世界みたいになりつつあるね。
その時空間のスパイラルの不思議を肌で感じてみると、じゃあわたしにフィットした場所はどこですか? ってことになる。わたしは家族はいるけど、住むのは東京じゃなくてもいいかなぁって思ってる。飛行機はどこからでも毎日飛んでるし、お金さえあればすぐにでも戻れる。LINEとかでよく家族や友人とも連絡を取っているから、寂しさはあまり感じないし。自分が自分の住み慣れたところにいないといけない、みたいなことがもう必要なくなってきてるのは事実だろう。住み慣れたところにから離れることを色々難しく考えてなんだかんだ理由づけしてそれを足枷みたいにして、結局何もしない人ってたくさんいるけど、やってみると仕組みはとてもシンプルで簡単だとわかる。それを簡単にするってのひとえに"言葉"は大きいかもしれない。言葉も住んでしまえば誰でも時間が経てばある程度どうにかなったりするし。

なんだか変な時間に起きちゃっていつの間にかこんなこと倩倩書いてたけど要するに、わたしは今後どこに住んでどのように暮らしを成り立たせるかってことを考えなければいけないんですね。東京にいるときにはNYに暮らしたいと思って外に飛び出したけど、いまは都会って本当に疲弊するのと、寒いのが絶対的に苦手だから冬場は耐えられない。そうなると冬場は暖かいところで暮らして、良い季節は戻る。みたいなことをどうにか実現する方法を見つければ良いのです。
まずはがむしゃらに働いてお金をつくり、それから自分で自分の仕事をマネージメントする。それからビザの問題だけクリアすればいい。ビザと金だけ。そのとき武器になるのが自分に備わった"機能"。言葉や、わたしは"書く事"もそうだし、あとは誰を知っているかとか。具体案が決まったら周りの人に発信していけば人を介して徐々に道は開かれるもの。みたいなことを考えつつ、同時にスピリチュアルの勉強をする、ってのが今回のBali島ステイの2大テーマ。

彼とはあれでも、正直何万回も生まれ変わってるからソウルメイトなんて五万といるし、そこにこだわりもない。あ、そうそうこだわりを捨てるってのも大事だよ。これは奇しくも彼から教わった事だ。こだわりがないって最強なんだよ。わたしはあれじゃないとイヤ、これじゃないとダメ、って色々こだわってるつもりだったけど、それが本当はめちゃダサいってことは彼が無言で教えてくれた。彼を見ていてこだわりがないってすごいな!と思いました。センスはあるんだけど、こだわりがない。

わたしのこの一連の旅にはボンヤリしたテーマがあって、そのテーマがなんだかはまだよくわからないけど、ちょっと前に進む度に少しずつ先の道が明るく照らされて行く感じだから、恐る恐る前に進んでみていると言った具合。ゴールもどこなんだか全然わかんないんだけど。そんな夢と現実をさまよう麻衣子30歳。バリにて思うのでした。

11.12.2014

Universe

「この人はわかってるな」っていう人がたまにいる。
特に具体的に話をする訳じゃないんだけど、心得てるひと。わたしなんかはまだその入り口に立っただけなんで、そういう人はそのドアのあっち側に長いこといる人だと思うんだけど。

バリ島に来るときの飛行機の中でみた映画「I Origines」の監督で脚本も手がけたマイク・カヒルも"わかってる人"だと思った。映画のストーリーはざっくりこんな感じ。
目の光彩を研究している科学者が個性的な目をした女性に運命的に出会い惹かれていく。科学者の彼は証拠があるものしか信じないと言いながらも、彼女を通して輪廻天性や不思議な力があることを信じさせられる。目の光彩は2つとしてこの世に同じものがないと言われているほど千差万別。個性的な目をした彼女の死後、彼女とまったく同じ目をした少女がインドにいるとわかり....って話なんだけど。
グランドブタペストホテルやHerなどいろいろ他にも観たい映画があったんだけど英語しかなくて。面倒だから、日本語を選べた数少ない映画のなかから、すごく好きな俳優マイケル・ピットが主演なのでたまたまこれを観たわけ。

映画の中でマイケル・ピットと彼女、アストリット・ベルジュ=フリスベが運命的に再び出会った時、彼が「あの夜どうしてあんなことしたの?」って聞いたら、彼女が「私はあなたのことを前から知ってるって分かってた。あなたもそれを分かってたからそうしたの」って言ってた。

わたしにも心当たりがあった。同じような経験。
それは彼に出会ったときだった。
初めて彼を見た時の彼の「目」を私は憶えている感じがした。彼の目は色が薄くてちょっと個性的な目をしてる。彼のルックスも確かにタイプだけど、それだけでは説明がつかないくらい、何か別の意志が強く私を動かし、その場で私は彼に好意を伝えた。まったく臆する事なく。
そこから連絡を取り合って彼とソウルで再会して話した時、2時間もしないうちに彼が「僕たちずっと前から知り合いだったみたいだ」って言ってた。
それですぐ付き合う事になったんだけど。

このエピソードが映画の中のそのくだりに重なったわけ。
そう、いままでわたしもボンヤリとしか考えてなかったけど、初めて会ったときから私は彼の事を前から知ってて、彼も私のことを前から知ってるって知ってた。ということ。

映画の中で、初めてマイケル・ピットと彼女が出会った時、パーティで彼女が覆面をしてて。彼が彼女の目の写真を撮ったそれしかヒントがなかったんだけど、彼はどうしても彼女にもう一度会いたいと思っていた。とある日、彼は11というナンバーに引き寄せられて彼女が広告をしている看板にたどり着く。7/11のコンビニでの会計が11ドル11セント。その買い物をした日が11月11日。その後乗ったバスが11番。不思議な気分でバスに乗ったら、バスの中で盲導犬に吠えられてなんとなくバスを降りたら、彼女の目の看板にたどり着いた。

私が飛行機でこの映画を観たのが11月11日。たまたまかもしれないけど、なんだか不思議な気分だった。
たまたまその日にバリに行く飛行機に乗って、たまたまその映画を観ただけなんだけど。たまたまね。
実は彼とはちょっと前に友達に戻ったんだけど、どうせわたしはバリ島にタダでいけるから、彼と会っても会わなくてもいいからバリ島にひとりで行こうって思ってた。だから実はいまはホテルに1人でいるわけ。

そもそもバリに来たのも、友達がバリ島にタダで行ける文化交流生プログラムを教えてくれてて、ソウルでの生活が終ったらそれに参加しようと思ってた。そこに彼が登場して、メールでやりとりしている時に彼が冬場はバリに半年間行くって。あ、友達がいるんならバリに行くのがもっと楽しそうだから私も同じタイミングでバリ島にいくかな〜なんて考えてたら付き合う事になり。

彼は実家の家族の事情で半年間バリにいけないことになり、韓国のサーフタウンでの暮らしも諦めて実家で家族をサポートしながら新しい仕事を探してしばらく地元で暮らすことになって、現実的に私とも別れることを決意したみたいなんだけど、私もその話をきいてまぁ仕方ないよね、と思った。私もやりたいことあるし。

だけどバリにだけは1ヶ月間行くことにしたみたいで、いまどこか近くに彼もいる。私もバリに来た。ひとりでサーフィンでも始めようと思って。そんで行きの飛行機でその映画を観て、わたしは彼の事を前から知ってる人だったって確信したし、もっと凄いのは彼と結婚するかもな。と思った。頭おかしいかもしれないけど、そういう直感が降りてきた。別れてから2週間くらい彼と連絡をとってない状況だし、2ヶ月しか付き合ってなくてろくに話もしてないし彼の事全然知らないけど。バリではまぁ気が向いたら連絡するか、はたまたしなくてもいいかって感じで特に気にしてなかった。だけど、なんだかいろんなたまたまが重なって、会って、話す機会があれば、彼にそんなおかしな考えを話してみようと思う。
彼は普通に嘲笑うだけかもしれないし、そこそこクレイジーかもしくは"わかってる奴"だったらどうだかわからない。もしくは、連絡しなかったらまったく会わないまま何もなく、彼と一生会うこともないかもしれない。

いろんな不思議な力に動かされて最近は生きていると感じるけど、わたしを動かす大きな要因である"予感"をこれまで先にどこかに書いた事はなかったから、これはある意味実験だ。本当になにもないかもしれないし、なにかあるかもしれない。これはもはや私の意志でない、宇宙の仕組んだいたずらだ、ということだけ言っておこう。ただわたしも彼もいま、神々の宿る島バリにいる。不思議なことがあってもおかしくはなさそうだ。