韓国生活中Blogの更新を怠っていたけど、読み返してみたらけっこう退屈そうにしてたな。っていう。だけど、ラスト4ヶ月は大変充実していてね。なんか忙しなくてブログに書けなかった。とても充実していたんだよね。だから人間って本当運気に波があるなって、思います。どうにもこうにも抗えない。すべてをそのまま受け入れるしかありませんのよ。
というわけで、いろいろと一段落してバリ島でヒマこいてる訳なんだけど。
一泊4000円ちょいの決して高くない宿だけどこんな感じで快適メン。
ビーチ前、フレッシュジュースの朝ご飯がとっても癒し系でしてね。いまも部屋にいるけど波の音がザッパンザッパン聞こえているわけ。あー清々しい。
いっちょまえにRooftop poolとかもあったりなんだりして。
夕暮れはビックリするくらい綺麗だし。あぁ、写真じゃ全然伝わんねえよ。....ってわたし本当に夢見る夢子ちゃんよね。こんな放浪生活よく続けていられるな?って思うけど、今回のバリステイも半分タダでいまのフリー時間もお金ほとんど使わないからどうにかやりくりできて。夢見ライフにはお金の問題がつきものなんだけど、それさえクリアすればやりたい放題だと思っている。
さて、わたしは今後この生活をどのようにして維持、継続させていこうか。これが課題です。
韓国に引っ越してからは、わたしは日本語に加えて英語と韓国語がなんとなく出来るという、20歳くらいの時に30歳くらいにはこうなっていたいと憧れてた、トライリンガルにいつの間にかなりつつあるあるわけなんだけど。
本当これ持論のひとつ、"周りにいる人は写し鏡の法則"で、そうしていると何カ国語も出来るみたいな人にたくさん出会うわけ。で、そういう人たちいろいろ見てるとそれを活かすも殺すもその人次第。では、語学力って何かしら? って考えると普通にいちツールでしかないんですね。本当に大切なのは、その人自身。言葉を通していろんな人やモノに出会って、それを理解して、違いを理解して、自分に活かして自分を膨らましていくこと。
出来る言葉が増えると単純に情報収集力も増えるし、特に英語がわかるとなかなかどこへ行くのにもコミュニケーションがスムーズで非常に便利だな。さて、じゃあ私という人間はその機能を加えたところでそれをどういう方向に活かすのか? 私はこれから好きなところ何箇所かに拠点を置き、そこを転々としながら生活していきたいと思っている。ちょっと非現実的なようで私はそれが実現可能だといまは思っている。
なぜそう思えるかというのも不思議なもんで、こうして生活していると何カ国語もできて、いろんなところでうまく暮らしている人っていうのに出会うんだわ。だから可能なことを知っている。何かを感じたら動き出してみると、動いた先で出会う人たちがどんどんヒントを示してくれるわけ。これは本当に興味深い。
英語できる、韓国語できるからすごい、みたいな考えって、日本や韓国の単一民族で比較的ドメスティックな人たちにはすごく根付いてる発想だけれど、言葉が沢山出来る人なんか世界中に沢山いるし、そっからどうするかはその人次第なんだということを本当に身にしみて感じさせられる。
バリ島に着いて最初に乗った紳士的なタクシーの運転手さんは、英語がなかなか流暢だけど、これまで外国には行った事がないんだって。インドネシアは賃金が低いからって。
そうか。彼には外国語は仕事をスムーズにするためのツールでしかない。外国に行くとそんな人ごまんといる。
だけど、日本人の場合どうだろう。話せる言葉が増えると出来ることが沢山あるな。私たちは日本人に生まれて非常にラッキーであるということを忘れてはならない。日本に帰って新鮮な目で日本を感じると、確かに日本は国内需要だけでビジネスがいまのところ成り立つし、みんながそこそこお金を持っているので豊かさレベルが本当に高いと思う。だけどどうしてあんなみんな擦り減らして疲れきった顔をしているんだろ? GDPは高いけど心の幸福度は低め。じゃあお金のない国の人々はお金がないんだがなんだかとても楽しそうで豊かに見えるのはなんでだろう? 色々旅行をしていると思うけど、ここにすごく矛盾があるよね。
現代的な生活は便利で豊かなぶん、心をストレスで満たす。原始的な生活はシンプルでお金はないけれども余裕があって幸せかもしれない。はて、どちらが本当に良いんだろうか?
生きるってことは幸せになるってことだと思う。単純に。
その人にとっての幸せが何かって千差万別だと思うんだ。だけど世の中の、てかその人が暮らすそこの国の、エリアの常識とかその人の想像力の範囲内で人は勝手に自分の幸せはこれだって思い込んでしまっている。まずこれが間違っているんじゃないか、ということなんだが、それ自体ほとんど誰も自問自答なんかしないだろう。
だけど、いまはそれを自問自答しないといけない時代になっていると思う。いろんな国に行ってみて、面白いと思えるのは時代のスパイラルを感じること。例えばいま2014年11月14日なんだけど、この同じ時間にいても場所を変えると時代が変わる。タイムスリップしてるみたいに感じる。インドネシアの庶民の暮らしぶりは本当に何十年も前の感じ。人々のケータイやTVは今日現在、日本の10年ちょいくらい前のだし、だけどインターネットは普通に普及してて、欧米人観光客の来るところはすっごく現代的。韓国はファッションとか街の人の感性は正直12-3年前の感じ。だけどインターネットは世界一早い。東京はすごく未来的で世界中のものが何でも手に入る。人々はコミュニケーションが出来なくなりつつある。まるで人工知能が発達した未来を描いた映画『Her』の世界みたいになりつつあるね。
その時空間のスパイラルの不思議を肌で感じてみると、じゃあわたしにフィットした場所はどこですか? ってことになる。わたしは家族はいるけど、住むのは東京じゃなくてもいいかなぁって思ってる。飛行機はどこからでも毎日飛んでるし、お金さえあればすぐにでも戻れる。LINEとかでよく家族や友人とも連絡を取っているから、寂しさはあまり感じないし。自分が自分の住み慣れたところにいないといけない、みたいなことがもう必要なくなってきてるのは事実だろう。住み慣れたところにから離れることを色々難しく考えてなんだかんだ理由づけしてそれを足枷みたいにして、結局何もしない人ってたくさんいるけど、やってみると仕組みはとてもシンプルで簡単だとわかる。それを簡単にするってのひとえに"言葉"は大きいかもしれない。言葉も住んでしまえば誰でも時間が経てばある程度どうにかなったりするし。
なんだか変な時間に起きちゃっていつの間にかこんなこと倩倩書いてたけど要するに、わたしは今後どこに住んでどのように暮らしを成り立たせるかってことを考えなければいけないんですね。東京にいるときにはNYに暮らしたいと思って外に飛び出したけど、いまは都会って本当に疲弊するのと、寒いのが絶対的に苦手だから冬場は耐えられない。そうなると冬場は暖かいところで暮らして、良い季節は戻る。みたいなことをどうにか実現する方法を見つければ良いのです。
まずはがむしゃらに働いてお金をつくり、それから自分で自分の仕事をマネージメントする。それからビザの問題だけクリアすればいい。ビザと金だけ。そのとき武器になるのが自分に備わった"機能"。言葉や、わたしは"書く事"もそうだし、あとは誰を知っているかとか。具体案が決まったら周りの人に発信していけば人を介して徐々に道は開かれるもの。みたいなことを考えつつ、同時にスピリチュアルの勉強をする、ってのが今回のBali島ステイの2大テーマ。
彼とはあれでも、正直何万回も生まれ変わってるからソウルメイトなんて五万といるし、そこにこだわりもない。あ、そうそうこだわりを捨てるってのも大事だよ。これは奇しくも彼から教わった事だ。こだわりがないって最強なんだよ。わたしはあれじゃないとイヤ、これじゃないとダメ、って色々こだわってるつもりだったけど、それが本当はめちゃダサいってことは彼が無言で教えてくれた。彼を見ていてこだわりがないってすごいな!と思いました。センスはあるんだけど、こだわりがない。
わたしのこの一連の旅にはボンヤリしたテーマがあって、そのテーマがなんだかはまだよくわからないけど、ちょっと前に進む度に少しずつ先の道が明るく照らされて行く感じだから、恐る恐る前に進んでみていると言った具合。ゴールもどこなんだか全然わかんないんだけど。そんな夢と現実をさまよう麻衣子30歳。バリにて思うのでした。