いやはや。メンズコレ終わりましたな。いま、元ハイファッションの西谷真理子さん編『ファッションは語り始めた』という本を読んでいるんだけど、哲学的なアプローチだったり評論目線で難しくファッションの定義についての対談がいろいろ書かれていて。結局じぶんにとってのファッションってなんなのか?と自問させられるわけなんです。ジェニー清水とかクロエ・セヴィニーみたいな女子(90'Sだな)がおしゃれだと思っているわたしとしてはスタイルの確立。ならびに、ストリートとライフスタイルとメンズファッションが醸し出すものこそ、自分なりの定義の答えな気がしている。
なんでメンズに惹かれるのか考えていたんだけど。つい先日、メンズコレ最中のプラダのショーをたまたまオンタイムで見ていたら、モデルとして俳優のエミール・ハーシュやトリにはゲイリー・オールドマンなどのマイフェイバーグッとくる俳優が多数登場し、深夜に大興奮!ゴルチエではレディス同様メンズのショーにもアンドレイ・ペジックをアイコン的に起用していたり。ADAM KIMMELやマルジェラのショーではヘタしたら前科モンのような癖のあるメンズモデルばかりが起用されていた。メンズはバリエーションに限りがあるぶん、着る人の生き方とか肢体とかそういうところが重用視されているのが羨ましいのかも。TRADという定義を定義とせんTHOMしかり。ファッションそのもののクオリティもあるけれども、それよりもプレゼンテーションの方法やほどよく反逆的なコンセプトが強く打ち出されているほうがかっこよく思えるというか。で、去年のBOY.がミラノに招待されたときのショーにつながる。"ファッションはショーや畳み方ひとつとっても一回性である部分が大きい。それが確かな評論をし難しくしているところ"みたいなことが本に書かれていたけれど。このショーでは"WEST SIDE STORY"の音楽とともに、プロのダンサーがその服を纏い、あの左右に対峙してリズムを刻む有名なシーンを披露している。まさに一回性のプレゼンテーション。なんなら、BOY.の服はシャツとかポロだし、その辺はさておいちゃって単純におもしろい。なんていうか、いいよねってのは感覚の問題だと思うんだけど。だからレディスの服って断然メンズより美しいんだけど、わたしがそれにそこまで興味を持ちきれないのは、なんていうのかそういうのの差で。もちろん、美しいものは純粋にうっとりするけれど、あまのじゃくなわたしには単純に美しいものを愛でるそういう気持ちが本当になさすぎる。で、その辺ひっくるめたすべての感覚がつまるところ、わたしにとってのファッションの定義ってことなんだと思う。暫定的に。まるで説明になってないんだけど。これからもっと仕事をしていくうえで、きっと女子は仕事、男子はファンというスタンスなんだと思うんだけれど。自分なりのポリシーってある程度しっかりないとだめだと思うので、わりとそんなこととか考えてみたりしてね。
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